あり得ぬこと

 もう何年も会えずにいた同年の従兄弟の訃報を受けてからひと月以上が経ち、ようやく臙脂の服を纏った。
 今は無理でもいつかきっと再会できる、生家や私自身が何の疑いもなく幸福だった幼い頃の記憶を語り合える日が来ると、そんな風に思っていた剣呑は粉々に打ち砕かれ、後には香典の礼の葉書と悪い冗談のような結婚祝いが届いた。見慣れぬ叔母の手による婚家の姓は私の名前でないかのようで足が竦んだ。
 ひどく空しいと思う。また、悔しい、と思う。かれはあのきらきらとした思い出を語り合える唯一の人であった。それが私の勝手な思い込みであったとしても、対面して違うと罵倒されたほうが何倍もましだった。それだけ大切に思っていた相手の現状を、関係上憚られる立場にあったとはいえ、私は知ろうともしなかった。無力感と罪悪感が襲って来て、何度か夢に見た。

 木曜から右の手が痛み始め、楽観的にやり過ごしていたところ甲が腫れ激痛を伴うようになったので医者へ行った。腱鞘炎の診断と注射と痛み止めをもらい、以来不便な生活を送っている。
 叔母へ手紙を書きたいがままならない。いまだ腫れが引かず両手を使うことは何もできないので、伴侶にも迷惑をかけている。少し休んで、もっと力を付けたい。生きる力を。

 急逝したかれは表現の道へ進むことを諦めていなかった。故郷を出て後に引けなかっただけなのか、もう知る術もないが、同じ業を背負っているのかもしれないと思うこともある。しかしまた、故郷へ戻り、かれの生家である旧い大きな家で、土地と家族を糧にしながら安穏と暮らすかれをも夢想する。もう決してあり得ぬことだ。